父の病気が解ってから4ヶ月・・・
本当に あっというまだった。
でも、その「あっというま」な中にも・・・・
逆に、ものすごく長い月日が流れたような
不思議な感覚も伴せている。初めて医師の話を聞いた時
「ああ・・・先はもう、そう長くはないんだな・・・」と悟り、
涙に暮れたのが、ついこないだの事のように
今でも鮮明に覚えている。
あれから 4ヶ月・・・。
一人になると、気づけば毎晩のように泣いていた。
それは、とても辛い日々だった。。。
こんなに早く、その時が訪れてしまうとは思ってなかったけど・・・
父との永遠の別れは、悲しく寂しいものだけど・・・
いつかは誰もが経験するであろう、親の死・・・。
今、ここで経験した事が、私にとって
そして、私達 家族にとって・・・
自分たちが成長できる一つの糧になれるように
歯をくいしばって、必死に・・・
そして前向きに?頑張らなければならないんだな・・・
と思う。
2004年06月25日
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今では、妻を含めて義父のいない生活にすっかり慣れてしまいましたが、当時は、きっと辛かったんだろうと思います。
最近、義父に性格や趣味(魚)がそっくりな長男が、「釣りに行きたかった」と悔しがっています。
それにしても、親が教えてもいないのに、なぜ同じ趣味になるのですかね。
すいません。
奥様も、私と同じような経験をされていたのですね。
うちの父も、去年還暦を迎えたばかりでした。
今まで仕事一筋だった父にもようやく年金生活が始まって
これからのんびりと人生を楽しんでもらおうと思っていた矢先
こんな事になってしまって本当に残念でなりません。
私は姉弟の中で一番父に(性格が)似ていると言われていたので
分身?が消えてしまったような寂しさに急激に襲われたりします。
でも いつまでも悲しんでばかりはいられないので、少しずつ
前のような元気を取り戻すよう頑張ろうと思っています。
そんなんで、まだしばらくはサイト更新もなかなかできないような状況が続くと思いますが
これからもきままにやっていくつもりなので、長い目で見て下されば嬉しいです。
私の父も定年後1年で発病、そのまま帰らぬ人となりました。
前立腺がんでした。
発見されたときは既に骨転移まであって手の施しようがない状態でした。
私の場合、父に対するいろんな感情があったので(これを書くと長くなるので省略)、亡くなったときに涙一滴すら出なかったのですが、火葬するときは熱いものがこみあげてきました。
あれほど強がりだった父がこんな形に…
一人っ子だった私は葬式の手配や親族への連絡などすべてひとりでやりましたが、疲れました。母はおろおろするばかりでしたからね。
来年、7回忌を迎えます。
思い出がどんどん薄れていくのが悲しいです。残念ながら遊んでもらった記憶も、いっしょに喜んだ記憶ももともとないからです。思い出自体がほとんどないのかもしれません。イヤな記憶ならいろいろありますが…
悲しんで涙を流すことも供養の一つだと思います。
そういえば私は独り者なので、もし死んでも悲しんでもらえる人はいません。母親より後に死んだら、ですけど。
家族を持つことの幸福は死ぬときにあるのかも知れません。いや、そうなるような家族を持ちたいものだ、とシミジミ感じました。
※長文失礼
このコメントを読んでいるだけで、自分の事とオーバーラップしたりして、涙がこぼれてしまいました・・・。
まだこれについて今は、深く語れる心境ではありませんが・・・。
うちは3人姉弟なので、みんなでそれぞれ自然と役割分担?して、
ここまでをどうにか乗り切る事ができました。
中でも弟(長男)が、意外な程にしっかり頑張ってくれたのを見て
子供の頃はビービー泣いてばかりだったのに、いつのまにか一人前の
頼れる男性に成長したんだなぁ〜とか思ったりもしました。
もし一人っ子なら、すごく大変だっただろう・・・なんて、みんなで話していたので、
少なからず koppelさんの気持は解るような気がします。
そしてたった一人で、その任をこなしたkoppelさんに、強い尊敬の念を抱きます。
本当に お疲れさまでした(今さら?でしょうけど・・・)
私の方は、まだ四十九日も済んでいないので、色々と慌ただしい日々なのですが
父の想い出を胸に これからも頑張って生きて行こうと思っています。
だから koppelさんも、頑張って(素敵な家庭を築いて?)くださいネ。